駐妻シアトルちーぷ暮らし
 

習慣【右見て左見て】 00.4.1
DAVIT SPAIN きたる  00.3.20
Barbieに揺れる  99.8.15
記念写真を撮ろう! 99.7.18
怪しい鍋パーティ  99.6.19
ポチさんの散財  99.5.18
駐在員夫人昨今 99.5.10
春の模様替え 99.5.10
極寒アラスカでオーロラを待つ 99.3.31..
北米川柳吟社のこと  99.2.18.
お宝探しのジレンマ  99.2.13.
取り憑かれ体質  99.2.1.
修理は続くよ、いつまでも  99.1.9.
年末の悲劇    99.1.9.
今日の快挙 98.12.18.
必読【サンタの秘密】  98.12.18.
クリスマスKiss  98.12.6.
日本企業の戦士達 98.11.25.
ハロウィン 98.11.14.
返品天国アメリカ98.11.2.
スーパーを捜せ!98.10.25.
 
 
 
 



 

習慣【右見て左見て 00.4.1

日本で車を運転していた人達はアメリカへ来て右側を走ることがなかなか困難であるらしい、
という話しはみなさんもよく耳にするだろう。

日本ではペーパードライバーだった夫でさえ、こちらでの右側走行は初め大変であったようだ。黄色いセンターラインがいつも車の左にあることを意識して走る。
こういう苦労話は日本の自動車免許を持った人の話だと他人事のように思っていたのだが、わたしが道路横断中によく危ない目に合う原因がここにあることに気がついてしまった。
道路を横断する際にする【右見て左見て】の確認順番は右側走行のアメリカの道路には適さないのである。
日本と反対走行のこの国では【左見て右見て】が正しい。
しかし、子供の頃から身についた【右見て左見て】はもはや条件反射である。
頭ではわかっていてもまず右に回ってしまう首を左にもどし、また右を見直し、猫のように道路に飛び出し、センターラインまで行ってまた、考える。

「この線を越えたら車はどっちから来るんだっけ」



 

DAVID SPAIN きたる 00.3.20

2月の第2週の週末 “あのDAVID SPAIN” が我が家にやって来た。
“あの”と形容されるのは彼がアメリカのノリタケコレクターズブック【NORITAK ECOLLECT IBLES COLLECTIBLES A to Z】の著者だからである。

かねてより、コレクターズブック収録の写真を撮りに来るとのメールをもらっていたが、野外での写真撮影なので晴れた日にしたいとのこと。天気予報では今週末の天気は悪く、彼からあるはずの前日の電話連絡もなかったのだが、その朝少しばかり早く起きたら、とんでもなく天気が良い。
外人は結構早起きだ。
ちょっとイヤな予感がして、わたしは家の掃除をはじめるが、リビングは夕べから夫が会社の機械の検査とやらでビール作り用のとんでもない大鍋に水を張り、ボート用レーダーを入れドカンと置いてあるので何とも様にならない。

電話が鳴る。やっぱりである。そして1時間後にMr.DAVIDはやって来た。
彼は2LDKの我が家(アパート)のコレクションを一回りし、撮影場所をベランダと決めると車から機材を運んで来た。
リビングの大鍋に入ったレーダーをこれは何かと尋ねることもなく、彼は楽しそうに写真を撮るコレクションを決めて、リビングのダイニングテーブルに並べて行く。
大きさごとに分けられて並んでいるのはどうやら写真を撮る都合のようだ。私たちも一緒に並べるのを手伝う。写真撮影が始める。ベランダには小さな机にバックグランド用の紙が用意される。彼は片膝をついて写真を撮るため、片足をのせるマットも用意していた。
彼の本の写真には皿立てなどは写っていない、そのノウハウを2人でしかと見学。
ダイニングテーブルの物を夫が手渡し、写真を撮り終えたものをまたわたしがテーブルの同じ場所に戻す。ベランダがコンクリートなので緊張する仕事である。

全ての写真がとり終えると、彼は写真を撮った順番通りに持参のフォーマット用紙にサイズ、バックスタンプを書き込んでいく。手慣れたものである。
わたしは終わった物から元の置いてあった場所にコレクションを戻す。
戻すと言っても我が家には小さなキャビネットが2つしかないので、そこら辺のサイドテーブルの上や、床に置きもどすのでいたって簡単である。大きなお宅のコレクション撮影ではキャビネットからの出し入れに脚立がいるらしい。
Mr.DAVIDいわく、「あなたのところはコンビニエンス!」
なるほど、コンビニエンスとはこういう時に使う言葉か。

言葉の壁はとても大きいがそこはノリタケの事となれば、バックスタンプの色のこと、レアなコレクションのとこ、ほとんど勘なのだが2人で盛り上がる。英語の分かるはずの夫が今少し遅れをとる。「これでMr.DAVIDが日本語が出来たらナー」とつぶやくわたしに「Mr.DAVITのほうがそう思ってる」と半ば夫はあきれ顔だ。

11時から始まった撮影は約3時間。その間ついに、Mr.DAVITの目には大鍋に入ったレーダーは入らなかったようである。
Mr.DAVIDの興味は【ノリタケ】にしかないのだ。
帰りがけに彼が玄関に置いてあった『盛り上げのドラゴン花瓶』を誉めてくれた時、はたと私たちは気がついた。
我が家に置いてあるオールドノリタケは【NORITAKE】と【NIPPON】。
彼は迷わず【NORITAKE】だけを的確に選定していたと。

 



 

Barbieに揺れる 99.8.15

7月4日の独立記念日が終わるとHallmarkのショップに新しいオーナメントが一斉に並ぶ。
クリスマスツリーに飾るあのオーナメントである。
Hallmarkのオーナメントはスポーツ選手のシリーズ、映画のシリーズ、ミッキーマウスのシリーズなどコレクター性のもの多いのが特徴だ。

かく言うわたしも、バービーのオーナメントを集め始め、今ではいっぱしのコレクターである。
8p〜11pと小さくてもどこから見てもバービーであることと、このかさばらない大きさが日本に帰れば狭いマンション暮らしのコレクションとしては最適と思われたからだ。

が、思わない事態が起きてしまった。

本物のバービーが、オーナメントのバービーとほとんど変わらない値段で売られているのがおもちゃ屋のセールで目に飛び込んできてしまった。

オーナメントでも$15.95するのに去年のホリデーバービー$42.99が$19.99!
胸がどきどきする。考えるにわたしはバービーが好きなのに値段や大きさにとらわれオーナメントをバービーの代用にしていなかったか。

2日つづけておもちゃ屋のバービーの前でたたずむ。3日目に他のおもちゃ屋に値段の比較に出かける。なんだ、去年のものはホーリデーバービーの他にも50%OFFがあるではないか。

かくして出張から帰った夫は、鏡台のうえに積まれた今年のオーナメントバービーと去年のほんまもんのバービードール2体を見ることになった。

夫の呆れ顔をよそに、どちらのバービーの手も離せないわたしは、今日も小さいバービーと大きいバービーの間で揺れに揺れ続けている。


記念写真を撮ろう! 99.7.18






この7月にスィートテンを迎えた。兼ねてより説得をしていた夫をひっぱて写真屋へ行く。

なぜそんなに記念写真が撮りたいのか夫は聞くが、今より若い日はないのだ。そして旅先で夫が写してくれる写真といったら満足に写っていた試しがない。
「奥様の満足はレベルが高すぎる」と素材が悪いと言わんばかりである。

こちらはクリスマスシーズンなどになると正装した子供、ファミリーが写真屋に並ぶ。
正装をするべきか考えたが、普段着で良いと言う夫が来たシャツの色と並んでもおかしくない色の物を来て出かける。

写真屋では店員さんがお得であろうセット価格を薦めてくれているのだろうが、よくわからない。とりあえず、16ポーズ最低46ドルからのコースを頼む。
予約なしで行ったので撮影までの1時間を買い物でつぶし、再度足を運ぶ。

まわりに飾ってある写真同様、アメリカ式ポーズの指示がカメラマンから出される。顔を寄せ合ったり、夫が妻の腰に手を添えるものに夫は「恥ずかしいやんけ」を連発。
座って足を組むポーズともなるとどちらの足がどうで、2人の位置はこれでいいのか、英語の指示にとまどっているとカメラマンがポーズをして見せてくれる。

壁に目をやると夫と同じポーズで男の子がまだオムツも取れていないような短い足を組んでカメラ目線で写っている。こんな年からカメラ慣れしている人種なんだなーとつくづく思う。
家具のコーディネートには必ず写真立てがあり、学校でも年に1度スクールピクチャーなるもの撮り、祖父母にまで配る。笑顔も板につくはずだ。

そして、笑顔の苦手な日本人夫婦は「ビックスマーイール」のカメラマンの声に会わせて最大の努力をする。

その日のうちに出来上がった16枚の写真に妻は満足である。
夫が写してくれるより数段いい。

さて、夫であるが、16枚の中から買い取りと焼き増しを決める段になって彼のチェックは厳しかった。自分の写りの悪い顔を片っ端からはじいた。
「奥様の満足はレベルが高すぎる」などとこれからは言わせないとしよう。

撮影代と写真代、計130ドル。
3.5×5インチ(16枚中8枚の買い取り)  
お気に入り1枚の焼き増し 5×7インチ、2枚 + 2.5×3.5インチ、8枚
 


 
 


怪しい鍋パーティ  99.6.19




夏もそろそろ本番かという季節に鍋の話で恐縮ではあるが、鍋料理ではなく【鍋】の話。

わたしはかねがね【いい鍋】にあこがれていた。【いい鍋】とはどんな鍋かというと、ご飯を炊くことが出来る厚鍋だ。そういう鍋を一生物にしなさいと、昔、習っていた料理の先生の教えである。当時で、還暦をすぎていた先生の鍋は鋳物屋への特注品だそうだ。

市販品で【いい鍋】にはなかなか巡り会えず、これだ!と思ったのは高島屋の『ビタークラフト』。が、このアメリカ製鍋はとんでもなく高い。一揃え2,30万もする。
転勤が決まって何が嬉しいかって、アメリカ製のこの鍋が容易に手にはいることだった。きっと安く買えるに違いないとそこら辺のデパートを探し回ったがどこにもない。

おいしい煮物をつくる友人に聞くと、アメリカでもちょっと高価なこの手の鍋は、デパートには卸していず、ホームパーティ形式で販売されているのだそうだ。

ホームパティー・・・何か怪しい。
主婦たちのライバル心や、催眠効果で無法に高い物を買わせられるというのが、日本でのホームパーティ形式のイメージであるが、友人のその鍋でつくった煮物があまりにおいしいのですでに半分買う気にさえなっているわたしに、鍋パーティのお誘いがあった。

日本円だと1つ、2,3万するから、$100以上するかもしれないが買うからねと夫に念を押し出かけると、主催者のお宅の前はすでに車が何台か止まっている。
中では、数人の子供がプレイルームで遊んでいる。主婦達はキッチンを囲んで【鍋おじさん】の話に真剣である。

日本語ぺらぺらの日本人【鍋おじさん】は秋葉原の駅前でデモンストレーションしているプロショッパーさながら、鍋でおもちを焼き、ご飯を炊き、鳥の唐揚げを作る。
口は闊達に回るのだが、慣れすぎた仕事のせいか目が死んでいるのが、ちょっと怪しい。

日本価格の半分から、3分の1だという値段はセット価格23ピース$975をさらに$750にするというのもなんだか、はじめから$750くさい。

主婦達は何を買うかと、値切ることを考える。ここで決めなければならない。夫のいないところでたかが鍋に大枚をつぎ込む決心をするのにはいささか度胸がいる。
小さいセットでも何百ドルもする事を思えば、大きいセットの$750はお買い得ではあるがさすがに買う人はいなかった。

1つだけ買うつもりだったわたしも、1つではあまり値引きしてもらえないので4つ(蓋、本体で2ピースなので8ピース)おおきめの鍋ばかりを$500GET。

「鍋に$500以上出したら、ケチな夫が卒倒しかねない」とぽっきりで交渉成立。

そのケチな夫も、
「弘法筆を選ばずというけど、料理は鍋やなー」とご満悦である。

ちなみに私の選んだ鍋は7層構造無水鍋 『NEW ERA』。いきなり高温で使っては行けないなどの制約はあるものの、たしかに煮物上手になったのは事実である。
そして、あとから友人から聞いた話によると、パーティ会場になってくれたお宅には特別な得典があるということだ。

やはり、怪しい。

 


ポチさんの散財  99.5.18




夫こと、ポチさんが「今日はあせったねん」とため息をひとつついて見せる。
保険が切れたことを知らずに車に乗っていたのだそうだ。 こちらでは車を所有すると保険に加入することが義務づけられている。
事故や違反などポリスにつかまったらまず運転免許と保険を提示しなければならない。 

愛車ニッサン『アルティマ』の保険契約が済むまで、レンタカー『カムリ』がやって来た。有り難いことにどちらも会社支給であるが、しばしの間とめておく2台目のためにもう1スペース駐車場を借りる。 $75 

6月の大きなアンティークショーの軍資金をひねり出すため、生活費を切りつめている矢先のことだ。無事がなにより、保険が切れていることに気づいて良かったと思うことにした数日後、その事件は起きた。 

今度はアルティマが駐車場から消えた。レッカー移動されたのである。
原因は他人のスペースに車をとめたことだった。保険の切れた愛車を、新しく借りたスペースに置いていたのだが場所を間違えていたらしい。

レッカー代 + 駐車違反代で $150のペナルティ。 わたしの頭の中で、買えたはずのアンティークが遠のいていく。 

しかし、問題はその車をどうやって持って帰ってくるかである。
愛車の運転ならわたしも出来るが、保険が切れているので夫はわたしには運転させたくないらしい。かと言って、レンタルの車はまだ運転したことがないのでわたしには無理である。

いっそのことレッカーして持ってきてくれと頼んだが断られた。2人の4つの目で安全を確認しながら夫の運転で持って帰ってくることにした。 

当然のことながら、レッカー屋まではタクシーで行くこととなる。
流しのタクシーはないので近くのホテルで客待ちのタクシーを拾うことにしたが、あいにく1台もいず、フロントから呼んでもらう。
到着したイエローキャブに乗り込もうとすると、ボーイに渡したチップが効いたのか前の車を薦められた。これもタクシーなのか? それはリムジンだった。 

初めて乗ったリムジンの中で2人とも無口になる。

一体、リムジン・タクシーは高いのだろうかと心配するわたしと、リムジンでレッカー屋に乗り付けるのは格好悪し、運転手にもレッカー屋に行くとは言いたくない夫。近くの道で下ろしてもらうつもりの夫の説明では運転手が道がわからないらしい。

どうせ運転手には日本語がわからないだろうと 「さっさとレッカー屋の名前言っちゃなよ」 と悪魔のようにわたしはささやく。 

要領を得ない客の道案内にしびれを切らせた親切な運転手が行き先の住所を携帯電話で確認して万事休す。 

「あなたの車は何ですか」という運転手の問いに、リムジンの中で 『 My アルティマ!』と2人で答え、 レッカー屋の前までリムジンで乗り付けた。 

なんともみっともないリムジン初体験だったが、思いの外リーズナブルなお値段で$15。 
無事、愛車はアパートの駐車場へ帰還した。 

しめて、$240 + チップ $1  ポチさんの手痛い散財であった。

 



 
 
 
 

駐在員夫人昨今  99.5.10





「どんな目的意識をもって渡米なさいましたか」某親睦会でそんな質問をされ、困ったと友人から聞いた。
出席しないで正解と胸をなで下ろす。

夫が『駐在員の会』に所属する妻の会である。上司の奥様にお誘いいただき初めて出席した総会で、新入会員の紹介を「○○商社△△△さん」としていたので驚いた。夫の肩書きで紹介される世界をわたしは今まで経験したことがない。ましてや女の集まり、隣に夫が同席している訳ではない。

そうか。。これがあの【駐在員婦人のディープな世界】(著・森梨恵)なのねと納得する。

ロス駐在経験を持つ著者の経験談で、上司の奥さんとのつき合い方やら、駐在員のランクまでおもしろ可笑しく書いたマンガつきエッセイである。駐在員のランクはそのまま駐在員夫人のランクで 1.銀行 2.商社 3.生保・損保 4.メーカーだそうだ。

英語の塾を経営していた友人が客観的に分析した意見では、かつて海外に駐在するのはエリートと決まっていた、しかるべき教育を受け奥様もそれなりの方を連れて渡米する。
ところがバブル以降、いままでは商社を通してしていたメーカーが技術者を直接現場に送るようになった。だから、バブル以降は英語も出来ない技術系の人が転勤が決まったからと塾へ飛び込んでくると。

「ま、エミさんとこみたいのネ」(笑)  「そっかー」(笑)

意識の違いも大きく、こちらの日本語新聞の投書欄かなにかに『最近は駐在員夫人の質が落ちた』と嘆く声も掲載されていた。

文頭の模範解答は「日米の文化交流・ボランティアに励みたい」だと思われる。
実際、そのような活動をまだ海外駐在が少ない時代から続けてきてくれた人があったからこそ日本人が地域に受け入れられ、その功績は大きいだろうがエリートだけが駐在する時代は終わったのだ。

なにやら、エリート意識の臭うこの会を避けて入会していない友人でも、たのしく趣味を持ち、余力でボランティアをしているようだ。
日米交流の看板も、夫の肩書きも必要としなくても人間として何かが出来る時代になったのだろう。

そして、余力のない私は、1人で異国に住めないという夫にしかボランテァが出来ないでいる。


 
 


春の模様替え 99.5.10




待ちに待ったレンタル家具の更新日が来た。こんどこそ、納得のいくコーディネートがしたいと家具屋に出向く。

我が家は家具のほとんどがレンタルである。
夫の会社の規定は駐在員・家具つき住居である。大きな家具は日本の倉庫へ置いて来なければならない。それもいくらかの倉庫料がかかるので、婚礼タンス1式を預け、冷蔵庫、洗濯機などの家電品は捨てたらほとんど持ってくる家具はなかった。

こちらに来た当初、仮住まいした家具着きアパートは、「えっ、こんな素敵な所に住めるの!?」というくらい、家具からベッドカバーまでコーディネートされていたので当然、この後借りる住宅もこのような所だろうと思っていたら、予算内でアパートとレンタル家具を自分たちで手配せよとのこと。

住宅はちょっと郊外なら戸建ても借りられるのだが、車の乗れない私が買い物に不自由しない場所にしたのでアパートである。

さて家具は、ご親切にアパートのオフィスにレンタル家具のカタログがあるが、目を通してみていまひとつピンと来ない。

現物を見にレンタル家具屋へ行った。アパート代を差し引いた予算と首っ引きで選ぶのだが、思ったより難問だ。

生活様式がわからないのだ。 

部屋に幾つのソファを置けば格好がつくのか、ソファの脇にランプを置くテーブルはいる物なのか、ベッドサイドには何をおくのか。はたまたベッドにいたっては金額が安いと思ったら、マットレスは別だとか、ヘッドボードとやらもまた別らしい。

わたしが指をさしてあれやこれや決めたものを夫が英語に名称になおしていくのだが、そもそも英語での名称がおぼつかない。それでも、一大決心で決めて帰る。

ところが運ばれた家具は、ソファの柄も大きさも違う。3人掛けと1人掛け2つのところが3人掛けとラブチェアーになってきた。柄ははっきりしないピンク系でうっかりするとうす汚れてみえる。
品切れで前日に夫に電話が入ったらしい。すでに家具のことは面倒モードになっていた夫はわたしに相談なしにOKしたということだ。

あれから1年、うすら汚れたピンクのソファともお別れだ。今度はもっと大人の部屋にして、ソファを小さくまとめ帰国の際に持って帰れる飾り棚を置くスペースをあけるのべく手配した。

そして今日、届けられた家具を目の前にわたしは夫に電話をかける。
「また、ソファのサイズが違うゥ!」
ちなみに今度はこちらの記入ミス。物と英語がかみ合っていなかった。

この次の更新まで6ヶ月。

さて、今度はどんな部屋にしようか。。。。
 



 
 
 
 

極寒アラスカでオーロラを待つ 99.3.31




「奥さんにオーロラを見せたいねん!」夫本人だってまだ見たことのないオーロラ。あきらかにオーロラを見たいのは夫である。
この1人で旅行に行きたくない駄々っ子に手を引かれ3月はじめの極寒のアラスカへ。

『過去2年連続、2晩ともオーロラ観測が出来た』というのが【売り】の2泊3日のツアーに混ざり、シアトルからアンカレジ経由フェアバンクスへと向かう。東京から飛行機で沖縄程度の距離と思っていたが、アラスカまで3.5時間。フェアバンクスまで更に1時間。

空港からツアーバスに移る際、「外へ出たら呼吸を口でしないように」と日本人添乗員から注意がある。
寒さの早く体感したいとばかりに皆が外に飛び出し、咳き込む。 喉にいきなりのの冷たい空気がくるからだ。注意していたわたしも「寒いー・・」と言い始める前に咳き込んだ。はじめて自分が話す前に口ですこし息をする習慣を知った。

きょうの上天気に「裸踊りをしなくて済む」と添乗員は機嫌がいい。
オーロラの観測はお天気次第。雨だったり、雲が多かったりすればみえない。天気は3日周期ごとくらいにかわっているらしく、実にいいタイミングで私たちのツアーは来たらしい。
願わくは夫に【オーロラ】を見せて、旅行は暖かい所だけにしてほしいものだ。

ホテルから夜9時にワゴン車でスキー場山頂ロッジまで1時間かけて登る。山頂で車を止め、急斜面を少し降りたところにロッジがある。旅行者からもらったペンライトの小さな明かりで足下を確認しながらおりる。

想像をはるかにこえた小さなボロ山小屋といったロッジには、ポットに入ったコーヒーなどのフリードリンクを用意した小さな売店以外は、電気がついていないで真っ暗である。所々にある小さな常備灯があるが、出ないオーロラを窓越しに待つ身にはそれさえも邪魔に思えてくる。
それくらいオーロラが出ない。時々部屋の中で椅子をさわった静電気がまわりを明るくする。

ツアコンの言う通りジャケットに下に重ね着でいった私たちは−31度を外では待てず、夫は出たり入ったり、わたしはロッジを決め込んでいた。

遙か遠くに山際のようにみえるのが【オーロラ】の元、はじまりなのだと言うが、その余りの変化のなさにアレは山際なんだと納得する会話も飛び交い、斜面をのぼり山頂で観測をしてる人をのぞき、0時をまわったロッジには居眠りをしてる人が出始める。
顔が見えている訳じゃないが、静かなのだ(笑)

1時をまわったころ小さなロールケーキの渦の様な物を発見、小屋の右前方の頭上だ!
夫を起こして外に飛び出す。どんどんと形が変わる。目を離すのも惜しいが小屋に戻ってみんなを起こす。
渦はほどけるように広がり、彼方の山際にしか見えなかった白いモヤへと帯状に延びる。1本、2本、3本。

「あの辺が赤い!」、「いやグリーンだ!」 みんなが自分の見えた色を言う。
なぜだーー!! 私の目には白にしかみえないぞーーー!と目を凝らす間もなく、15分でショーが終わった。

スキーロッジに来なかった人もホテルで観測ができたそうだ。
違うホテルに移動した2晩目は、7時くらいから11時くらいまで帯状のオーロラが観測できた。
夜中トイレに起きたついでにホテルの窓からのぞいたオーロラは、私の裸眼にも緑だった。

オーロラの色は人によって見え方が違うのだろうか、それとも根性と思いこみで見てるものなのだろうか。
動物、昆虫、色の波長の捉え方が違うというが・・・・・・。 さて、写真はどう写っているのだろうか。

崩れ行く天気をよそに私たちはアラスカを後にする。
『過去3年連続、2晩ともオーロラが見えたツアー!』と一回り大きくした看板を持った添乗員の高笑いを残して。


 



 
 
 
 

北米川柳吟社のこと  99.2.18




日本で多摩版の新聞への投句で、はじめた川柳のだが、アメリカに来てからは投句する所も限られ、どこか川柳が出来るところはないかと知人のアドバイスで総領事館に問い合わせる。
シアトルセンターの4月に行われる『チェリーフェステバル』に川柳の会が参加してること、責任者は高齢なので電話をかけても話が通じるかどうか分からない、この2点を教えていただいた。

フェステバル開場に川柳の会を捜す。話が通じるもなにも、元気のいいお姉さま方(!?)に「あなたも川柳をなさるの」と手を握られ、句会の世話役の電話番号を頂き、句会への門をたたく。

句会は月1回。世話役の粋華智恵子さん(本名は Cicha)はお聞きしていた75才にはどう見ても見えないくらい若い。句会のはじまりは昼の12時だが、11時半あたりから、ポトラック(持ち寄り)の手作り料理が並ぶ。男性も含め、12,3人。料理も年期が入ってるだけにどれも美味しい。
すっかり、食べることに夢中何をしにきたのだか、忘れた頃に席題が2題ほど出され、制限時間があるので箸を置く。

ここにいらっしゃる方は、渡米して長くグリーンカード(永住権)もしくはすでにアメリカ人である。テレビドラマ『渡る世間・・・』で森光子が演じたハワイのおばさんそのままに、英語が所々にまざる会話が飛び交う。森光子の演技の上手さをあらためて納得する。何十年もアメリカ暮らし、雰囲気が日本人ではないのだ。

最長老の篤としこさんは99才。数字を読み上げる時も英語だ。
すこし、耳が遠いことを気にされてか、「わたしがいたんじゃ、おじゃまでしょう」などと皆さんに遠慮されている。

未熟なわたしは「そんなことありませんよ」とフォローをしていたら、30分で3句あげなければいけない席題が手に着かない。篤さんは謝りながらもスラスラと縦書きのきれいなノートにすでに3句書き上げている。
「篤さんそりゃー反則だァー」と心で叫びながらとにかく句を作る。

席題2題を各3句づつ、計6句を1時間でこなす。時間がない時は30分で6句だった時もあった。高齢がなんだと言うのだろう、ここでは1番若いわたしの頭が1番回転が遅い。

3時までの句会を実にテキパキと手際よくこなし、句のディスカッションともなれば、言いたいことはどなたも遠慮なく言う。変なところで曖昧間な妥協はしない。それでいて険悪なムードにならないところも、日本人離れしていると、感心するばかりである。

惜しむべきは、100才を待たずに篤さんが逝ってしまったこと。3ヶ月ほど篤さんの前の席で座らせてもらった。
良い句を作るには言うまでもないが、句作する姿勢に多くを学ばせて頂いた。

初めて作った『弔吟』は句の形にならず、粋華さんに作り直して頂いく。
「弔吟なんてそのうち慣れるわよ」とおっしゃる粋華さんは句会に入って20年、一世さん達を見送って来たそうだ。
翌月の追悼の柳誌で、篤さんの句の味わいの深さの意味を知る。戦争中は収容所生活もされご苦労されたという。

駐在で海外に住んで川柳とは、とお思いになられる方もあるだろう。実のところ英語の出来ない私には丁度良いと入った川柳だが、移民して来た一世さん、進駐軍と結婚して渡米された「戦争花嫁」、思わないところで歴史に触れる。
わたしは「弔吟」には慣れることなく、北米川柳で生き方を学んで帰りたいと思う。

川柳などさほど興味のない夫が柳誌に目を通し鼻を赤くした篤とし子さんの「遺作抄」より、わたしが好きな句を紹介させてください。

                一度分炊くむずかしさ一人住み

                つまずいた石も縁なりそっと除け

                辛抱の肩に止まった青い鳥

                同じ道歩いて拾う運不運

                                【篤とし子さん・遺作抄】より
 


取り憑かれ体質  99.2.1




最近わかったことなのだが、私は取り憑かれやすい体質であるらしい。妙に波動が共鳴するというか、シンクロしてしまうのである。
と、言ってもオカルトではない、【オタク】にである。

予定のない週末はアンティークショップまわりしている。アンティークモールのほとんどはオーナーが違うブースの寄り集まりだ。
ブースごとにそのオーナーの趣味がうかがえる。中古品なのか、アンティークなのかわからないガラクタが並ぶ所もあれば、とても趣味良くテーマを持って並べられている所もある。

困ったことに、その趣味良く並べられたブースのパワーはわたしの足を掴んで離さない。もはや、金縛り状態だ。
コカコーラグッズ、空き瓶マニア、空き缶マニア、モンローグッズ、なかにはまるで射的の人形のような小さな焼き物ばかり集めたブースもある。
なぜ、これが欲しかった、ヒシッと伝わってくる。
いや正確に言うなら、なぜが分からなくても、わたしもすでに【これ】が欲しいのだ。

そして一度この洗礼を受けてしまうと、どんなガラクタブースの中でも、光り輝く空き缶や、持って帰りたくなる射的人形がちょっこと顔をのぞかせ、わたしを呼び止めているのが見える。

とりわけ、今のわたしに取り憑いているのはバービーとデプッレショングラスといったところだろうか。
見てまわれば見てまわっただけ、取り憑かれるものが増えるのであるから、アンティークモールの滞在時間はいくらあっても余ることはない。

いたる所で金縛りにあうわたしをよそに、ノリタケとリモージュだけを早足でチェックする夫は、持て余した待ち合わせ時間を今日もアンティークモールの隅のいすで眠りこけて待っている。
 


修理は続くよ、いつまでも  99.1.9




シアトルは秋から春にかけて雨期になる。緯度が高い割には気温あるので雪になることは少なく、毎日毎日雨が降る。
そしての去年の秋からはなんと部屋の中までも雨が降るのだ。

建てて10年になるというこのアパートは去年の夏の終わりに改装をした。
ロビーに素敵なソファーを置きカーテンを掛け、廊下・エレベーターの絨毯を新しくし、壁の絵を掛け替え、大きな鏡まで入れ、屋根の補修工事まで行った。

その直後から最上階・3階の我が家には雨が降る。
どすんばたんと手荒な補修をやってるなとは思ったのだが、どうやら壊していってくれたらしい。
オフィスに片言の英語で雨が漏っていることを伝える。その日のうちにオフィススッタフが見に来てくれたものの一向に修理がやって来ない。

リビングの床に洗面器とウケ口の広い花瓶が置いたあるのを見かねた、英語の先生がオフィスに苦情の電話をを入れる。
彼女の話によるとこのアパートの他の生徒のうちはもっとすごいことになっているらしい。

最初の苦情から10日目に修理の人がやって来た。雨漏りは光取りの天窓の下のサンルームのように張り出した部分とその継ぎ目あたり。
天窓から張り出しの屋根で大男が修理しているのが見える。
なんとか雨漏りはやんだものの、天井のペイントがはげて汚いのでまたオフィスに行く。例によってすぐには修理に来ない。
そしてやっとペイントの職人さんがペンキをもってやって来たその日、朝からの大雨でうちの洗面器と花瓶は溢れていた。

また屋根の修理からやり直しだ。
 
職人さんが来た。快く通したのだがなにやら屋根の修理ではないようだ。
彼らが天窓のブラインドをあげる。
「あ・・・天窓にひびが・・・」
屋根の修理人がガラスを割っていたのだ。アメリカの工事って一体・・・・。

「アメリカでは新築に住んではいけない。こっちの仕事は雑なので、戸が閉まらなかったり、ペンキが剥げてたり何やらで入って1年は修理がたえない」友達のそんな話もあながち嘘ではなさそうだ。

 雨漏りの修理は相変わらず一進一退だが、ここへ来てもうひとつ問題が起きた。キッチンの天井と屋根との間に小動物が走り回る音がする。
うち以外からも苦情が出ているらしい。

願わくはキッチンの天井は踏み抜かないでもらいたいものだが。
 


 



 
 
 
 

年末の悲劇99.1.9




やってくれた。夫がアンティークを割ってしまった。買うか買うまいか迷った末、置いて帰ることに決めた$16の皿を棚に戻す際ほかの食器を$100分落としてくれた。着膨れのコートの袖を引っかけたのだ。

クリスマスから正月にかけ飛びながらも多い休みを、どこも旅行に行く予定ない2人は近くのアンティークショップを網羅することにかけていたのだが。

休日のSNOHOMISH(スノホミッシュ、シアトルから車で30分ぐらい)のメインモール。人目もあり逃げるわけも行かない。さて、どこへ自首したものかと見回したところへ店員さん登場。万引きを見つかった子供のように彼女の後に付き従いレジに向かう。

アンティークモールはオーナーが違うブースの寄り集まりだ。店員さんに任せお店にはオーナーはいない。オーナーのほとんどが自分だけの店を持たず、何カ所ものモールにブースを借りていて、商品の入れ替えやディスプレイの時だけ現れる。

出された用紙にに住所・氏名・電話番号を書く。
「後から請求書がいきますから。オーナーによっては請求しない人もいますし」の後に彼女は「Never mind」と笑顔をつけくわえたが、そんな気分にはなれない。

「$16の皿を買っておけば良かったなー、でも請求しない人もいるって言うし」と自らを元気づける夫も目の前真っ白なわたしも、その日はそれ以上アンティーク屋を歩く気にはなれず、急に土砂降りなった雨に車のワイパーをフル回転させて家に帰る。

割ったのはディプレッショングラスのバスケット$60、セットで$40のワイングラスのひとつ。
「請求が来たって最高$100やねん」と夫は言うが、わたしたちは$16の皿を買わなかったフーフなんだよ。

年末に買うはずだったデジカメがまた遠のいた。

請求の不安におびえながら年を越し、正月を質素に暮らして夫が会社に出た二日目に来た、お待ちかねの請求書。
ディプレッショングラス$15、セットのワイングラスのひとつ$3。 しめて合計$18。
やったー! 安いじゃないか! これでデジカメも買えるぞ! わーい!

ひとしきり大喜びした後にふと考えた。

仕入れ値ってこんなものなのか。
温情酌量ならタダにしても良さそうな$18をきっちり書いて請求してくるところをみるとこれが仕入れ値にちがいない。
あまりの安さに少し悲しくなる。

わたし達って、とてもいいカモなんだろうなあ。
 


今日の快挙 98.12.18






 今日久々にIDチェックにあった。IDチェックとは身分証明書の提示である。
と、言っても悪いことをしてお巡りさんに見せた訳ではない。

こちらでは21才までは飲酒とともにアルコール類の購入も禁止されており、レジの店員さんはそれを阻止すべくIDの提示を求めてくるのである。
言うなれば【若く見えた】という勲章であり、わたしにとってはちょっと嬉しいことなのだ。

去年こちらに来たとき、売れはじめた頃のパフィーもどきにロングカーリーを高々とポニーテールにしていたせいもあってか、ビール・ワインをレジに持っていく度にIDチェックにひっかかっていた。ID(運転免許)をみせたレジのお姉さんに「Oh!40! 40!」と大声で叫ばれたのには参ったが、髪をストレートのボブにしてから誰もわたしを引き留めてくれない。 な・・・・・なぜだ!

この1年で、もしかしてわたしってそんなに老けた?・・・・・
鏡にむかってヘアースタイルのチェンジを考えはじめた矢先の快挙だ。

見るからに私より若いピチピチのレジのお兄さんに【IDチェック】で引き留められるこの快感!
しかも今日は金髪の美形とあっちゃー、盛り上がらずにはいられない。

しかし、嬉々としてかみしめる私のささやかな幸せも「こっちの人には東洋人の年はわからないんだよ」
 夫は一言で片づけてしまった。
 


クリスマスKiss  98.12.6






 アパートの部屋に’Xマスツリーとリースを飾った。
なかなかの出来映えであると思うのだが、レッスンに来た英語の先生はあたりを見渡し、何か捜している様子。
何やらこの部屋に足りない’Xマスアイテムがあるらしい。

紙に【MISTETOE】と書く。何度聞いても「ミソトル」としか聞こえないその代物は植物でスタンダードな’Xマスデコレーションだと言う。
いつものことながらほとんど英語の通じない私に、スージーはリボンをつけてドアの上に飾ってある【MISTETOE】の下でKissをする男女の絵を描いてくれた。

「ラブシーン」かと聞くと「そういうこともある」と言い、「息子ともするの」と聞くと「ジョークではネ」と答えた。
どうやら【MISTETOE】の下でKissをする習慣があるらしい。

日本人にはあまりKissをする習慣はないのだと話したかったのだが、わたしの少ない語学力では
「日本人は月に3回しかKissしない」と言うのが精一杯であった。(笑)
スージーは驚いた仕草をしてみてせてくれた。
ちょっとオーバーだったか・・・・いや、あながち嘘ではない。
新婚当初は洋画もどきにしていた挨拶のようなKissが年数が経つにつれてなくなったのは我が家だけではないと思うのだが。

さあ、今日は【MISTETOE】とやらを買って夫に海外生活の教育でもしてみよう!

帰り間際にスージーは「嫌いな人、汚れている人、臭い人には注意してね」とて【MISTETOE】の下から慌てて退くジェスチャーをしてみせた。
どうやら、【MISTETOE】の下にいることはKissをしてもいい、もしくはKissをしてねという合図になるらしい。

さてさて、部屋のどこに【MISTETOE】を飾り付けしたものか。

Look at my X'mas tree

 

日本企業の戦士達 98.11.25


 スーパーに買い物に行くと今日はやけの人が多い。
時間は午後4時を少しまわったところである。いつもならこの時間帯はリタイアメント世代が目につくのだが、働き盛り世代とそのファミリーでごった返している。

あしたは「サンクスギビングデー」。「クリスマス」と並ぶビッグホリデーで、スーパーも休みとなる。
こんな日はファミリー総出で明日のパーティ食材をカートいっぱいに買い物するのだろか・・・・・・
それにしても4時に父親が仕事から帰っているとは。

TELをかけて来た夫に聞いてみると「アメリカ人は就業時間の4時にみーんな帰ったよ」と言う。して・・・、夫のTELの用件はといえば

「遅くなる。もうしばらく帰れへんねん」

午後8時である。
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 

ハロウィン 98.11.14

今日はハロウィンだ。セキュリティが良すぎて子供が入って来ないアパートを後に上司宅で奥様と過ごすことにする。

この8月に赴任して来た彼女は上司の奥様と言っても年齢も近いせいもあってか、気楽にお付き合いできる親しみやすい人である。

初めてのハロウィンに備え、玄関に骸骨、カボチャ、窓にディスプレーをし、お菓子を買い込んだ彼女だが、頼りにしていた娘さんはお泊まりでハロウィンパーティ。ご主人はうちのダンナと共々フロリダへの出張で、1人になってしまった。

かく言うわたしも、去年は幾らばかし菓子を買い、夫のいない初ハロウィンを1人で過ごしたが、誰も訪れなかったことは先に書いた通りである。(夫はこの時期は毎年出張であるらしい)

さあ、女二人の本格的(!?)ハロウィンの初体験だ。

4時過ぎに、彼女がわたしをピックアップに来る。行きしなに【セーフウェイ】で中華総菜をテイクアウトすることにする。女二人、夫がいなければ料理などしない。

【セーフウェイ】の広い駐車場に山の様に積んであったカボチャも、さすがに今日は売れたと見え、転がっているといった感じだ。

初めてこれを見た時は、駐車場にカボチャの牧場が出来たのかと思った。柵で囲われ地面に野放図に積み転がっている大・中・小のオレンジ色のカボチャを見たら、魔法使いのおばあさんも馬車は出来るがネズミが足りないと言うに違いない。

何台もあるレジにも1人だけ仮装している店員がいた。ちょっと熟年のお姉さんだが、胸の空いたピンクのドレスで仕事をしている。
心なしかその列は男性客が多い。すでに私達はコートを羽織っているのにドレスから出た腕は寒くないのだろうか。
あいにく、今日は小雨模様である。

上司宅にて、総菜を「チン」して食べはじめた6時頃、「来た!!」「子供だ子供だ」、私がドアを開ける、家のオーナーであるハサマさんがお菓子のかごを持って走る。

子供達の言う「Trick or Treat」(意訳すると”キャンディくれなきゃいたずらするぞ”)は早くて聞き取れなかったり、聞き取れたり。

たいがいが2人から5人ぐらいでまとまって来る。。コスチュームは思い思い、アメラグのユニフォームから来ぐるみ状態で目しか出ていない子までいるが、女の子は顔にペイントをしてぴったりタイツとミュージカルの「キャッツ」タイプが多い。そして手にはとんでもなく大きなキャンディ回収袋を持っている。

7時ともなると応対しながら夕飯が食べられると思っていた私達はテーブルに座ったと思うとドアに走る。私はカメラも用意していたのだが、下手な英語を切り出す間もキャンディをGETした彼らは次の家へ向かう。唯一撮れた一枚の勝因は彼らがまだよちよち歩きだったことだ。付き添いのお母さんに許可をもらった。小さな子供もノックを自分でして訪れるが離れたところには必ず保護者がついている。推察するところ5,6才までの親は、玄関から見えるところで見守っているようだ。

女二人としては子供がかわいいのはもちろんのこと、父親のかっこいいことで大いに盛り上がった。しかし団体さんに付き添ってきた”ジェイソンマスク”の親父2人は戴けない。ハロウィンでない日に巨体二人があの恰好で敷地に入ってこられれば間違いなくブッパナシていたと思う。(銃があれば)

正の字で数えていたら全部で50人。

多いのか少ないのか。 去年のこの邸宅に住んでいた元の上司は100人来たという。天気が祟ったのか、いやカボチャに電気を入れた方がいい、ディスプレイはもっと派手に。お茶を飲みながら4人で検討をする。

どこかアクセスカウントの向上に似ている。


返品天国アメリカ 98.11.2








ランチョンマットと合わせて買ったはずのテーブルクロスが持って帰ったら色が合わない。「そんなもの返してくればいいじゃない」「ここはアメリカだもの!」と友達が言う。そう、アメリカは返品天国なのだそうだ。

店員さんに理由など言わなくいい、返しに行けば引き取ってくれる。贈り物に貰ったものだろうと、袖を通した服だろうと、外に履いて出た靴だろうと返品出来るというのである。

テーブルクロスをひっつかみ、これだけで言えばOKと教わった単語「REFUND」を何回か言ってみるのだが、店員さんに通じない。
お互い困ったなーという目で見つめ合う。えーいイチかバチか「I dont like this」 「oh・・・」分かってくれたようだ。 にこにこと現金を返してくれた。
色合わせのミスをしたのは、私なのにお礼を言うと、とても愛想良く「You are welcome」と言われ、少々心苦しいが、おおいにありがたい習慣(!?)である。

そして、この返品の山がクリスマス後のビッグバーゲンとなるそうだ。しかし、近年悪質な返品が増えて、返品を受け付けない店や、バーゲン品は返品不可とする店もある。ドレスをパーティで着てから返したり、バーゲン品を正規の値段で返品する輩がいるらしい。

ちなみに私の$560のフェイクファーのコートは一時店頭から姿を消したが、ラストバーゲンで半額以下の$250でGET。襟に目立たないがハゲがある。

半額になるまでと通い詰めたのに、一体どこのどいつがァ〜〜〜〜!と思うとちょっと悔しいが、返品の恩恵での半額か。しかし、着たヤツは返品得だァ!

極めつけ・・・・アンティークショーのコーヒーショップでかなり年配の女の方がコーヒーを返品していた。「なんか味が合わない」とクレームを付けていたが、半分近く飲んであった。
お金を返した店員はしばらくためらってそれを捨てた、再利用しなかった。

さすがに「You are welcome」とは言わなかったようだった。
 

スーパーを捜せ! 98.10.25

ちょうど、今から1年前のこと。

アメリカに着いたその日、シアトルダウンタウンのホテルに1泊し、翌朝ベルビューのアパートにスーツケースと私を置くとダンナは出社してしまった。スーパーマーケットは前の道をまっすぐ行って右だか左だかに【キューエフシー】ってのがある。大きいから行けばわかる。」とだけ、言い残して。

いかに、家具・食器付きのの短期間用アパートといえども、ダンナが帰るまでには食料だけは調達しなければならず、【キューエフシー】とやらを目指し歩く。車の運転が出来ない私が暮らせるように歩いて買い物に行けるという条件で選んだアパートだ。15分ほどでスーパーを発見。

【SAFE WAY】と書いてあるがこんな大きいスーパーだしこれに違いない、どっかをどうにか省略すればなにかの愛称で【キューエフシー】なるのだ。無事、食料を手に入れ、以後毎日買い物に行く。

そして10日もたった頃、遊びにいらした上司の奥さんに「あら、そこはセーフウェイよ」と言われ、呆然。
そっ、そうか・・・どう略しても【SAFE WAY】は【キューエフシー】にはならないのかァ。

そして翌日、前の道をまっすぐ行って右に曲がったところで【QFC】発見!こちらもアパートから15分。
それにしても【SAFE WAY】を【キューエフシー】で納得出来る、わたしの英語力って・・・・・・・・・・。

 

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